久しぶりの、「滝と芸術」カテゴリのブログをアップします。

ニューヨークにアトリエを構え、世界を舞台に活躍している日本画家、千住博さんの展覧会に行ってきました。先月、横浜そごう美術館で開催していたこちらです(現在は北九州に巡回中ですね!)↓

高野山金剛峯寺襖絵完成記念 千住博展

高野山金剛峯寺に奉納される襖絵「断崖図」「瀧図」の展示がメインになります。

タイトルにも書いたんですけども、今回千住さんが高野山の金剛峯寺に奉納される襖絵を描かれたということは、「空海との時を超えた奇跡のコラボ」が起きてしまったということなんですよね。

ちなみに、わたしが千住博さんが大好きだというのは、こちらのブログでも幾度となく書いております!

仕事(ライター)でインタビューをさせていただいたことがあったり。
千住博さんインタビュー&滝ガールコラムスタート

軽井沢千住博美術館は、軽井沢を訪れたらだいたい訪れていますし。
軽井沢千住博美術館【滝の魅力を引き出す最高の舞台】

滝つぼで水煙が上がるようなタイプの滝(千住さんが描くような滝の絵のような)を「センジュスポット」と勝手に呼んでたりもします(笑)!
千里の滝・鹿児島県【水煙の芸術、至極のセンジュスポット】

千住さんがなぜ滝というモチーフを選び、どうして魅せられ続けていたのか。わたしは千住さんの滝の絵を見ながらそのことに想いを馳せるようになったことで、わたしは滝により「近づけた」という感覚があるのでした。だから、滝ガールとしても、とっても千住さんに感謝していますし、勝手に心の師だと思っています。千住さんの展覧会があれば、いつも見にいくようにしていました。

それが今回、あろうことか、空海とのコラボ〜!大興奮です。

というのも、最近わたしがもっともハマっているのが、空海だったから!

いま読んでる本↓

行ってきた展覧会↓

空海の何がそんなに気になっているのか、という話は相当長くなってしまう上に、まだ全然まとまっていません。ざっくり言うと「森羅万象に上下がない、生きとし生けるものすべての存在が平等である、人間と自然は一体である」という空海の思想は、滝を通じてわたしがいつも感じて学んでいることではあるのですけれど、とはいえそれだけじゃないしなあ…ここでは割愛しますけども、とにかく「千住さん meets 空海」というのは、わたし的にはアツすぎるテーマだったんです。

動画がありました。会場は、こんな感じです。

もう、本当に素晴らしかった。

茶の間に飾られる予定の全長16mの「断崖図」と、囲炉裏の間に飾られる予定の全長25mの「瀧図」、どちらからも千住さんのとてつもない集中力を感じました。

こちらが図録。日本美術史家の山下裕二さんとのインタビューが掲載されています。

インタビューでもそう答えられていたのですが、やはり「いかに自分ではないものに描いてもらうか」ということに集中なさっていたようです。千住さんは「自分と自然のコラボレーション」と表現されていますが、自分の意図は削ぎ落とすんだけれども、むしろそのために自分の技術としては極限まで磨き上げる。そうして出来上がった作品からは、その先に自然の息づかいがハッキリと浮かび上がってくるのが不思議な感じでした。実際に、わたしが今まで見た中で一番、「ナチュラル」な作品という印象で。

「断崖」の方は比較的新しく、千住さんが編み出した画法です。和紙をよく揉んで、シワをつけてから、その凸凹をいかしながら岩壁の表情をつけていくという。軽井沢の美術館でもいくつか作品を拝見したことがありました。

一方、滝の作品はこれまでもたくさん作ってこられていましたが、画法はそれとは同じでは全くなくて、この襖絵で新たに様々なチャレンジを重ねられていて、「かつてないほど悩み、苦しみ、試行錯誤して完成させた」とのことなんです。

下地のところでこれまでとは違う特殊な膠を塗ることで、耐水性が上がり、上から水を流した時に、そのままタラーッと流れて、「水の流れの形そのもの」を表現できるようになったのだとか。でも、絵の具が画面に定着しないから滑り落ちてしまって何度もやり直したりしたそうです。

図録の千住さんのコメントからいくつか抜粋させていただきます。

制作途中、空海について知れば知るほど、読めば読むほど、わからなくなりました。

今までは、自分が作りたい形というものにあまりにもこだわりが強くて、普通に見ていい形だと理解できても「俺が俺が」という意識がそれを認めず、塗り潰してしまったり。〜 でも今回はそうじゃなくて、自我を介入させすぎずに、とにかく絵がなりたいように進めてみました。〜 なぜそうなったかというと、一つは何回やってもうまくいかなかったから。あまりにもうまくいかなかったから、これは空海の法力だと思った(笑)。

高野山というのは、色々な悩みを抱えた人が集まる場所。ということは、僕が描こうとしている襖絵も、そういう人たちに寄り添うものでなくてはいけない。〜 普通のことを成し遂げるために苦労するということは、きっとこの絵にとって必要なプロセスだし、多くの方々の力にもなるはずだと思えてきたんです。〜 自然というのは、人間がそもそもコントロールできないもの。そう考えれば、水の流れを支配しようとすることがそもそもおかしい。

この作品を手がけたことで、僕自身の一番の振り出しに戻れたことが嬉しかった。

還暦を迎えた千住さんが、空海と対話しながら、もどかしさと戦い、試行錯誤を続け、そして完成させた今、やり切った、出し切った、とおっしゃっている。そのことにも、ただただ、感動しました。空海とは時代が違うけど、千住さんが作品を通じて空海が伝えたかったことを翻訳してくださっているとも言えるわけですよね。千住さんと、同じ時代を生きていられることに感謝したい気持ちです!

2020年に高野山に奉納されるとのこと。必ず見に行きたいです。