気付けば、わたしの本棚には滝関連の本が多くなっていました。
写真集、ガイドブック、エッセイ。仕事関連の本も並ぶ中の一角に、存在感を放っております。滝の本は、移動中とか街中のカフェなどではなくて、寝る前、あるいは、滝を見ながら、温泉につかりながら、自分にとって幸せな環境で読むようにしています。滝に魅せられた先人たちの思いに触れることで、滝に訪れたときの感動が呼び起こされるような気がするのです。
こちらに、読書録も残しておこうと思います。
まず、日本の滝めぐりの先駆者、永瀬嘉平さんのエッセイ集。
●『滝ゆけば』永瀬嘉平●
1998年刊/舞字社
永瀬さんは、わたしのゆるゆるとした滝めぐりとは違い、危険をかえりみず、命をかけて、全国各地の秘瀑のもとを訪れてきたお方です。著書はこれまで数々出していらっしゃいますが、『滝ゆけば』は、特に滝への情熱がつまった一冊。永瀬さんは「『なぜ滝なのか』と自問することがあるが、『そこに滝があるから』としか答えられない」とのことですが、その理由は、この本の端々からほとばしっている気がします。
わたしの心に響いた言葉を引用させていただきます。
「よく人間の一生を川の流れになぞって、『川のように生きたい』などという人がいる。しかし何の邪念も捨ててゆったりと流れ下る川のような境地にいたるまでには、やはり幾度か滝のような激情な一瞬を経験しなくてはとても成就し得るものではないだろう。ただ一途の直情をむき出して滾り落ちる滝の潔さが好きだ。それはもう青春そのものの姿というしか形容できない」
青春、その言葉があった!
わたしは水辺が好きですが、川よりも湖よりも、なかでもひときわ滝にひかれるのは、それは水の状態のなかでも「ハイライト」だから。かっこよさも、せつなさも、喜びも憤りもひっくるめた、最もドラマチックで、ポップでロックな(?)状態。永瀬さんいわく、それこそ「青春」なんですね。わたしも、青春の輝き、生命力を、浴びにいっているのだと思いました。
清少納言、松尾芭蕉、田山花袋、尾崎紅葉、白洲正子…滝に魅せられた先人たちの言葉や、文学の中での滝についても多く触れられていて、滝の世界の奥深さを教えてくれます。
いくつも滝の絵を描いてこられた横尾忠則さんとの対談もついている(お得!)のですが、ここにも名言連発! 何度も読み返したくなります。特に「滝はエロチックだ」と言及している部分、本当にそうだなあと思う。
「滝に近づいていくと足並みが速くなって、動悸が激しいにもかかわらず、まるで恋人に会いに行くような、ドキドキとして、ワーッと会ってウワーッというような、人間というものは有機的なものにも無機的なものにも、愛というものには変わりないなあという、それを感じますよね」(横尾さん)
わたしと滝に行ったことのある人は目撃しているかもしれませんが、滝の音が聞こえてきたり、ちらりと姿が見えたりすると、勝手に走り出してることがあります。運動嫌いなのに……。そして、滝の前では恋人といるような幸せな顔をしているらしいです。
まさに恋しちゃってるんだな、わたしも。
次に恋人に会えるときまで、滝の本を読んで思いを募らせたいと思います…^^