【熊野と滝文化シリーズ・1】南方熊楠にハマる滝ガール

【熊野と滝文化シリーズ・1】南方熊楠にハマる滝ガール

4月になりましたね。なんだか公私ともにバタバタして気がついたら、すっかり春。そんな中でも実は滝ガール、今年は冬のうちにすでに2回も! 和歌山県 熊野に出かけておりました 😆 東京からは、決して近くないのにねぇ。

熊野のレポートとしては、
地元の新聞、「熊野新聞」さんに載ってしまったり…
那智原始林のニの滝・三の滝ツアーに参加したり…
というところはブログにも書いていたのですが、まだまだ色々ありました、熊野。

それは最近のわたしの滝ガールとしての関心事が「滝と文化」というところにあったためです。やっぱり熊野といえば、那智の滝を中心とした滝文化の聖地。熊野にはもっと自分の足で訪れなくては! そう思っていたら、ご縁というのはつながるものなんですよね。年初から不思議な流れが続いて、わたしの中で「熊野濃度」が異様に濃い、3ヶ月となりました。

そんなわけで、熊野と滝文化シリーズということで、いくつかの活動記録を残しておこうと思います。

☆☆☆
まずは、その1。
実は今年は東京でも熊野について考える機会が多かったのですが、その理由がこちら!

和歌山県が誇る賢人、

南方熊楠(みなかたくまぐす)です!

「知の巨人」とも呼ばれる、博物学者、生物学者、民俗学者です。特に生物学では「粘菌(ねんきん)」の研究の第一人者でした。

昭和天皇の行幸に御進講するなど、あらゆる面で相当な偉人だったのにもかかわらず、まだ調べ尽くされていない人物だそうです。確かに友人に話しても「?」という反応を返されることも多く、一般への知名度としては未だに低いんだと思います。実際、東京に育ったわたしにとっては、ほとんど縁のない存在で、読み方もちゃんと読めるかあやしいくらいだったんですが、たまたま年末くらいに青山ブックセンターのイベントで「田村義也から学ぶ南方熊楠」という連続講座を見つけまして。「確か和歌山に関係ある人だったよなあ」くらいの記憶で講座の説明文を読んでみたところ、「わたしどうして今までこの人ノーマークだったんだろう!」と思うくらい、めちゃめちゃストライクな人物でした。しかもイケメン。

そしたらもう、講座の1日目で心をワシづかみにされちゃったんです、熊楠さんに! 講師の田村先生のお話が面白かったというのが大きいので、熊楠との最初の出会いとしてはラッキーな機会だったと思います 😆

そもそもどうして東京でも熊楠の講座があったのかというと、今年2017年が「熊楠生誕150年」の記念の年ということなのでした。なんやかやで東京でも熊楠関連イベントが結構多く開催されていたため、ちょくちょく参加することができたのです。NHKBSの「英雄たちの選択」では、熊楠の特集もありました。

クマグスイヤーで界隈がニワカに盛り上がっていたタイミングに、わたしもちゃっかりクマグスワールドの入り口にまで誘われることになったわけですね。

そしてさらに勢いに乗って、3月末、今年2回目の熊野旅で、ついに!

南方熊楠の住んでいた家もある南方熊楠顕彰館(田辺市)、そして3月にリニューアルオープンしたばかりの南方熊楠記念館(白浜市)にも訪ねてくることができました。きゃー!

若かりし熊楠さんパネルとツーショット。

こちらは熊楠さんのお家です。

当時の採集グッズ。

ただ、ほんとにわたしは、まだまだニワカです。クマグスワールドの入り口をくぐったばかりで、ワクワクソワソワ立ち尽くしているっていう状況。これからの人生でじっくりのんびり「熊楠」を趣味にできる喜びを感じております☆

さて…

ここまでは勢いに任せて「熊楠にハマってきてるよ」という話しかしてませんが、もちろん「滝」こそがわたしにとってライフワーク。ですから、熊楠のことを調べる時もやっぱり「滝ガール目線」です。その点からも、わたしはやっぱり熊楠に惚れてしまってるんですね。

滝ガールであったからこそ、熊楠に興味を持てたんだと思うんです。

 

この滝、熊楠ゆかりの滝とも言われています。

那智山にある陰陽の滝(いんようのたき)です!

海外遊学で最先端の学問にひたったのち帰国した熊楠は、しばらく熊野で過ごしていました。那智山にある陰陽の滝周辺のクラガリ谷など、人があまり立ち入らない森の中に毎日のように出かけて、粘菌、キノコ、シダ、淡水藻から、昆虫や小動物にいたるまで、さまざまな生き物を採集していたそうです。その時の日記に、この辺りの滝の話も出てきているのです。確かにウルウルして暗い場所にこそ、粘菌はいっぱい生息してそうですしね! 最適な場所だと思います。

わたしが初めてこの陰陽の滝を訪れたのは、2015年の12月のこと。
陰陽の滝・和歌山県【奇跡の虹に彩られた憧れの神滝!】

その時は熊楠のことを特に意識せず、その神秘的な姿に魅せられていたのですが、あらためて振り返るとあの場所に熊楠がいて、しかも34歳という今のわたしと同じくらいの時に通っていたんだということを知ると、なんだかぐんと親近感が湧いてくるのでした。

熊楠の那智山での滞在は、2、3ヶ月のつもりが結局3年にもなったのだとか。きっとこの間に、学問としてではなく、体感として、人間と自然の関係のあり方を知ったのだと思います。

一つには、この那智山滞在中に有名な「南方マンダラ」と呼ばれる図を書き残したことに表れています(「南方マンダラ」はひとことで言えば、「世界の成り立ち」を熊楠の理解でモデル化したものです ↓写真の左)。

さらにのちには「神社合祀反対運動」という、人間と自然との共生を説く社会運動をするに至るわけです。

わたし自身も、滝をめぐりながら、そもそもの世界の成り立ちであったり、人間と自然との共生のことを考えています。いや、東京でふだん働いている時やバーでお酒飲んでいる時とかに、そんなことばかり考えているわけではありません。でも、やっぱり滝と向かい合っている時には、ふと思うのです。

だって、どの滝の周りにも、あまりに完璧な調和がそこにあるから!

水と光と岩と植物と生き物とが織りなす自然のアート。と、そこに感動している、ちっぽけな人間(わたし)。自然の一部であるはずの人間が、どうしたら傲慢にならずに、美しい地球を壊さずに暮らしていけるのだろう…。そんな問いも、いつも頭をよぎります。

希代の大天才と呼ばれた熊楠ですから、もちろん凡人には到底理解できない境地にいたんだろうと思うのだけど、それでも今わたしが勝手に熊楠に親近感を抱いて「もっと知りたい」とハマっていっているのは、わたしが滝で学んでいることと通じている部分があるからだと思うのです。

ちなみに陰陽の滝については、あることを巡って熊楠は文書(南方二書)の中で怒ってもいます。
陰陽の滝の近くに水力発電所を作るという計画があることについてです。

さて、いよいよこの滝の近傍を、このように乱伐し荒廃させて所期の水力発電ができ、永く続けることができるのかというと、〜中略〜確かな技師の言葉では、那智の一の滝と陰陽滝との水の全力を用いても、800馬力しか力を生じないとのことである。そんなあやふやなことを強行して、このクラガリ谷の勝景、植物を滅却するのは、いかにも惜しいだけでなく、せっかく大金をかけ岩石開鑿、山林滅除した後には、その水力を果たして乏しく水源は涸れ、数年ならずしてこの電燈会社もつぶれるとすれば、実に隋侯の珠を雀に投げうって失うようなことで、つまらないことと存じます。〜中略〜 何とぞこのクラガリ谷付近は、一切保安林とするように御運動願いたいのだ。たとえ水力電気のことが頓挫して官林の濫伐は止まるとしても、その近傍の民有林がこのように濫伐されるときは、いろいろの弊事を生じ、ついには久しからずして、この谷も濫伐する方がましというように荒廃することとなるだろう。

(み熊野ねっと 南方二書口語訳「那智のクラガリ谷」より)

この発電所って、結局南方のこの訴えの2年後に完成しているんです。それで確かに町の暮らしは便利になったのだから難しいところですよね。でも熊楠の言うように、一度失った自然は、戻らない… 😥

明治の時代に熊楠が主張していたことは、そのままこれからのわたしたちにも、通じる言葉だな、と思います。熊楠の予言していたように、100年以上経った今、いろんなところに歪みも出てきてしまっているから。わたしも自分なりに考えていくことは続けていきたいです。

って、やっぱりすっかり長くなってしまった…!
熊野の自然と文化が生んだ超人、熊楠。滝ガールとしても引き続き、追いかけていきたいと思います!

そうそう、熊楠顕彰館では熊野に関連する本もいっぱい置いてあって、ますます好奇心が刺激されています。何日か篭って全部読みたいくらい。

熊野と滝文化シリーズ、また書いていきますね。

☆おまけ☆

南方の弟・常楠がやっていた酒造は現在も「世界一統」というブランドでしっかり受け継がれております、そこからは「南方」というお酒が出ています。きのこのイラストが描かれたラベルは150周年記念ボトルだそうです! 今回の旅の夜のお供となりました☆